世界遺産・日光; 日光東照宮  「明智光秀=天海・・?、」

この日光東照宮をプロデュースした、南光坊天海は家康の最高ブレーンであったらしく、さらに面白いのは、光秀こそが天海そのものだとする説もあり、同意する人も結構多いといわれてます。

家康の死後、久能山東照宮に眠っていた家康の死骸を、日光へと改葬した人物が南光坊天海なのです。
特に天海は家康の信任が非常に厚く、天台宗の僧侶としてだけでなく、政治や軍事顧問としても常に家康の側に控え、家康に進言した意見はすべて採用されたといい、徳川家代々を記した徳川実紀にも書かれていりそうです。

天海は、家康の死後も秀忠、家光に仕えたが、この天海の正体が本能寺で織田信長を討ちながら、豊臣秀吉に返り討ちにあった明智光秀であるとする説があるのです・・!!。

明智光秀=南光坊天海と言う説の根拠として、

1. 日光東照宮に光秀の家紋である桔梗の彫り細工が多数あること、

2. 日光に明智平と呼ばれる区域があること、

3. 秀忠の秀と家光の光は光秀、家綱の綱は光秀の父の光綱、家継の継は光秀の祖父  の光継の名に由来してつけたのではないかという推測、

4. 光秀が亡くなったはずの天正10年(1582年)以後に、比叡山に光秀の名で寄進され   た石碑が残っていること、
5. 学僧であるはずの天海が着たとされる鎧が残っていること、

6. 光秀の家老・斎藤利三の娘が徳川家光の乳母(春日局)になったこと、

などがあげらるが、果たして・・?。

尚、桔梗紋に関しては、加藤清正など多くの武将が使用しており、光秀の紋とは断定は出来ないとも云われるが、これだけ状況証拠がそろうと、明智光秀=南光坊天海もなかなか否定は出来ないのかなとも思われるのですが・・?。

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